存在の飢餓感

宮粼駿は、なぜそんなにできるのか、という問に対して人を楽しませなければ存在している意味がなくなる、と言っていた。近くにいる人でもひとりそう言った人を知っている。
それができなければ自分が死んでしまうというリアルな危機感、存在したいという飢餓感。
何を糧として、何を目標としてやっていくのかのひとつの強い形だと思った。